Introduction:キャッシュフローコーチ®の紹介

コーチのインタビュー

「社外参謀」として、顧客によりそうパートナー型のコンサルティングをしています。

ジャパンコンサルティングファーム株式会社 代表取締役
株式会社プレジデンツビジョン 代表取締役

石原 尚幸 さん

「売上に偶然はあるが、利益に偶然はない」という信念のもと、中小企業の社外参謀として、全国で活躍している石原さん。姫路、京都、品川のファシリテーターとしてキャッシュフローコーチの育成にも力を注いでいらっしゃいます。石原さんのコンサルタントとしての仕事観、独立当初のことや和仁先生との出会い、これから独立する人、CFコーチとして仕事をはじめる人へのメッセージをお伺いしました。

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「顧客によりそうパートナー型コンサルティング」が僕のスタイルです

大学を卒業して出光興産に入り、販売店のコンサルティングを始めてから、23年間経営コンサルタントをしています。出光の創業者、出光佐三の「販売店も家族である」という大家族主義の精神から学んだ「顧客によりそうコンサルティング」が僕の根底にあります。

10年前に独立し、「中小企業の社外参謀」として、今は主に100人以上の比較的大きな規模の中小企業のコンサルティングをしています。また、ジャパンコンサルティングファーム(JCF)という別会社の代表もやっています。そこでコンサルタントでチームを組んで、大きな会社のコンサルティングをすることもあります。

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「顧客によりそうパートナー型
コンサルティング」が
僕のスタイルです

僕のコンサルティングのスタイルは、「顧客によりそうパートナー型のコンサルティング」です。提案書を持って行って、「これをやってください」というスタイルではない。

契約して最初の6ヶ月は土台作りをします。月に1日訪問して、社長と話をしながら、ビジョンを作り、現状把握をして、そのギャップを戦略で埋め、戦術を作って、アクションプランに落とし、いわゆる経営計画書を作ります。その後半年かけて実行していきますが、いつまでに何をどうやっていくかを決めて、次の月に行ったときに、どうだったかを聞く。できていなかったら、また作戦会議をする。それを繰り返していきます。

経営計画書が実行できて、成果になって初めて僕の仕事だと思っています。コンサルタントの仕事のやりかたによっては、提案書だけ出して、「やっておいてね」ということもできなくはないんです。次の時にできていなければ、「あなたが悪いんです」と言うことはできる。でも、これがゴールではないと思うんですね。僕は実行の支援までして、結果が出るまでこだわり続けます。たとえば、ある月の利益が計画値に届いていなければ、僕の仕事はしていない、ということだと思っています。

結果が出ないときは、プロセスのどこかで仮説が間違っている可能性があるので、そこまで戻るしかない。でも、多くのコンサルタントはここまで戻らない。面倒くさいから、「さよなら」って言ってしまった方が楽なんです。僕は結果が出るまでコミットしますが、ここまでコミットするコンサルタントは、少ないと思います。偉そうなことを言っても、結果が出ない時もありますよ。ただ、そこまでやらないと僕の存在意義がないと思います。「結果にまでこだわるコンサルティング」というのは、出光時代の教えなんです。

販売店は販売店担当者の鏡である

僕は、大学卒業と同時に出光興産に入りました。出光興産は直営店を持たず、全国に販売店があって、その下にガソリンスタンドがある。社員は10~20くらいの販売店の担当になって、販売店がどうしたら儲かるかを考えるのが仕事です。

出光興産に特徴的なのは、「販売店と一緒になって経営のことを考えなさい」「販売店の経営が良くなれば、出光グループの経営力も強くなって、出光も儲かる」という考え方です。創業者、出光佐三の「販売店も家族である」という精神のもとで販売店をものすごく大事にする。日本人の大家族主義のいいところも悪いところも全部持っているような会社です。

販売店の担当になると、まず販売店と仲良くならないといけない。入り込まないと、なかなか経営の話なんてできませんからね。上司には「お前、社長の家に泊まったのか」って聞かれます。本当に、販売店の社長さんたちの家には泊めてもらいました。そうやって仲良くなって、相手の懐に入り込むのです。そうして経営にかなり踏み込んでいく。

販売店は一定の目標を出されるのですが、その目標に届かなければ、担当の僕らが怒られました。創業者の出光佐三は、「販売店の結果が出ないのは販売店担当者が悪い。なぜならば販売店は、販売店担当者の鏡である」とはっきり言っています。その教えは今でも僕の胸に刻まれています。

僕が日本一ガソリンの安い激戦区に赴任して2年目のこと。担当する販売店が価格競争の波にのまれて、半年で数千万の赤字に陥り、年末には最大2億6千万円の赤字見込みになることがわかりました。このままいけば、倒産に追い込まれるかもしれません。でも、その販売店では日々の仕事にみんな誠実に取り組んでいた。僕は、絶対に潰すわけにはいかないと思いました。

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奇跡のV字回復で
出光興産社長賞を受賞

残りの半年で、何としても黒字化しなければなりません。どうすればこの赤字を取り戻すことができるかを必死に考え、100ページを超える改善案を出しました。経営陣と資金や収支の見込みを何度も確認し合い、半年間休む間もなく経営改善に取り組んだ。その結果、2億6000万円の赤字見込みだったのが、わずか6ヶ月でなんとか黒字化し、2年後には1億円の経常利益をあげるまでになった。まさに奇跡のV字回復を成し遂げたのです。この業績が評価されて、僕は31歳のときに社長賞をいただきました。販売部門で社長賞をもらったのは僕が初めてでした。

その後、僕は本社に異動しました。全国1500の販売店、燃料油2兆円の収支責任者として販売の統括をするなかなか厳しいポジションで、大型のM&Aもやりました。このまま行けば、もう一段上のポジションに上がれると思っていましたし、そんな声も頂いていました。

本社では、「この人たちには勝てない」と思うような、ものすごく優秀な人たちにも会いました。でも、その人たちはみんな50歳を過ぎていた。当時僕は33、4歳です。あと15年たった時にやっとあのポジションで、もう一段上の役員になるには、さらに5年かかる…。

僕は、30歳を過ぎたら「自分で将来の道を決めたい」と思っていました。会社に残って役員を目指すか、もしくは独立するか、この2つに1つだった。役員になると、だいたい年収は数千万円。でも20年かかる。役員の年収と、そこにいくまでにかかる時間の長さが僕の中で合わなくて、「どうやら役員になるよりは、独立した方が面白そうだ」と思ったんです。

でも、これ以上会社にいて、部下ができてから辞めると、会社に迷惑がかかる。当時、社長直轄の経営企画室という部署からオファーを頂いていました。もしそこに行ったら、辞められない。辞めるなら今しかない!そう思って、34歳の時に独立を決意しました。

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石原さんの実家の喫茶店
お父様が39歳の時にはじめた

実は、僕には昔から独立志向がありました。それは親父の背中を見ていたからなんですね。僕は、名古屋の「喫茶いしはら」という珈琲屋の三男坊で、親父は39歳の時に石原珈琲商会を立ち上げました。よく親父が酔っ払った時なんかに、「5年遅かった。34、5歳で独立していたら全国制覇していた!」と、言っていたんです。それで、なんの根拠もなかったんですけれども、辞めるなら35歳までと思っていました。

出光はいい会社でしたが、ひきとめられても、思いとどまろうという気持は、全くなかったです。正直、自分の中では今後のストーリーがある程度できていましたし、34歳というのが大きかったです。その結果苦労するわけですね。

独立したときに大事なのは、どんなセルフイメージを持つか

独立してしばらくは、ファイナンシャルプランナーとして仕事をしていました。僕が独立して数ヶ月後にリーマンショックが起こりました。その頃は、メインで保険を売っていて、収入が数十万円になる月もありましたが、うまくいかなかったら20万円を切る。すでに結婚して子供もいたので、これでは足りない。

独立したときに、子供のことを考えて妻の実家の姫路に帰りました。でも、僕は出身が名古屋でしたし、出光の社員は半分以上が関東にいますから、人脈が関東なんです。だから、東京の知人、友人に連絡を取って出稼ぎに行く。そうすると旅費がかかる。あまりお金をかけたくないので、新幹線に乗らず、 高速バスや青春18切符を使ったり、友人の独身寮に泊めてもらって、100円ローソンに行ってカップラーメンを買って食べたりしていました。見かねた友人が朝食を作ってくれたこともあります。

顧問契約を取り出すまでの1年ぐらいは、本当に生活はきつかったです。たまにスポットで相続関係の数万円のコンサルもありましたけど、顧問料を毎月もらえるわけではないので、浮き沈みがある。貯金を減らしたくないのでギリギリの生活をしていました。

厳しい生活が続きましたが、独立したことに後悔はありませんでした。ある程度苦しくはなるだろうと覚悟していましたし、何とかなるだろうと思ってもいた。当時は、事業承継のビジネスモデルを作っていけば、コンサルもあるし、保険も売れるし、十分食べていけるだけは稼げるだろうと考えていました。そうやって稼いでいる人もいるし、ビジネスモデルもあるのに、そこに自分が行けていない。自分では「頑張っているけど、うまくいかないな」って感じでした。

苦しかった時期には、自分に足りないこと、やるべきことを整理して、一つ一つやっていきました。その中で和仁達也先生、遠藤晃先生と出会いました。それがすべてを変えました。独立して1年たったころ、遠藤先生の「たった5人集めれば契約が取れる!顧客獲得セミナー成功法」という本に出会い、僕もセミナー集客をしたいと思って、遠藤先生のセミナーに行きました。

その半年後くらいに、遠藤先生の塾に入りました。30万円って言われて、入る前には3日間考えました。本当に画面とにらめっこして、ランディングページを見ながら、これを嫁に言ったら絶対「駄目!」って言うな、と思いました。でも、行かないとこの状況を打破できない。この時のクリックは、僕は今でも自分を褒めてあげたいと思う。

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チームNo.1の年間MVPを獲得
遠藤先生と

遠藤先生の東京のセミナースター養成塾に通いましたが、正直、その時は全然結果が出なかった。塾が終わった後、大阪から通っていた仲間と「遠藤さん、大阪に呼ぼうよ」って話になって、大阪での塾が始まり、それにも参加して、ようやく少しわかってきたんです。

僕は、それまで誰にも「出光でコンサルやって、販売店をV 字回復させました」ということを言っていなかった。自分では「そんなの無意味だ」「価値がない」と思っていたから。塾では、自分がこれまでやってきたことを全部書くんです。僕が「V字回復」と書いているのを見て、遠藤先生が、「石原氏、これをアピールしなよ」と言ってくれました。僕は「そんなこと、もう昔の話ですし」と断った。遠藤先生とは、そのあと3、4回ディスカッションして、最後には、「お前、もうこれで行け!」って怒られました。それで初めて『V字回復コンサルタント』と名乗ったら、そのあと顧問が取れるようになるんです。

同じ頃、遠藤先生から送られてきた、和仁先生の「30万円以上の顧問料が5年続く」というメルマガを見て「すごい人がいる。僕がやりたいのはこれだ!」と思いました。それまでの僕は、顧問料が3万円でも嬉しいと思っていた。3万円でも10社あったら30万で何とか食べていけると思った覚えがありますから。でもその3万円の契約すらも取れない。

それを「30万円の顧問料で5年も契約が続いている人がいる」というので、すぐCDを買いました。2010年の春、独立してもう2年ぐらい経っていました。そのころは、CDを買った人に、特典で和仁先生の電話相談がついていました。僕は引っ込み思案の三男坊だから、絶対そんなものは電話しないんですけど、当時はもう必死ですから「こういう事情でご相談したいです」とメールを打ったんです。

そうしたら和仁先生がすぐに「どうしたの?」って電話をくれた。秋に清里合宿をやると言うので「清里に行きたいんです。でも、それまで食べていかないといけないので、すぐ顧問契約取りたいんです」と言ったら、和仁先生が「ビジョナリープラン作って、それを何人かのクライアントに持っていきなよ。僕もそうやったから」と。

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清里合宿で和仁先生と
人生を変えた出会い

もう、必死ですよね。今見習わないといけないぐらい必死でした。言われた通り、自分のビジョナリープラン作って、メモ書きのまま、クライアントに持って行きました。そうしたら2社決まった。すぐ和仁先生に「決まっちゃいました。このあとどうしたらいいですか?」とメールしました。「あと3ヶ月あるから、これとこれをやって、あとは合宿で相談しよう」と。本当に必死でした。よくやったなと思います。あれが本当に原点です。

顧問契約が取れて本当に嬉しかったです。ただ、これは続かないなと思っていました。当時は今のようなコンサルの全体像がなかったですから、毎回「何を喋ろう?」「どうやって今日を過ごすかな?」って思っていました。「会話が続くのかなあ、2時間も3時間も持つかなあ」とかね。

キャッシュフローコーチ養成塾でも、塾生さんから「何を喋ったらいいですか?」と言う質問をされます。当時は僕もそう思っていたから、すごくよく分かります。でも、ちゃんと会話は続きますし、やることはたくさんありますよ。

秋に清里合宿へ行って、もう1社の顧問契約が決まりました。あの時決まった3社中2社は今も続いています。そのあと、毎年2社くらいづつ、顧問が増えて行きました。僕の場合は、「自分はセミナーはできるし、評価も悪くない」というのがわかったので、顧客を増やすために、なるべく多く「V字回復」や、「ブロックパズル」のセミナーをしました。

セルフイメージがいかに大事かですよね。和仁先生、遠藤先生からは、ここをすごく教えられました。短期間で僕のスキルやノウハウがそんなに上がったかと言うと、そんなことはありえない。僕の場合は、それまで出光でやってきたことが、そのまま繋がってきたのです。でもV字回復でもらった社長賞の表彰状も捨てようとしていたぐらい、そのことに価値を感じていなかった。そこに初めて自分で価値を感じて、その価値を、お客さんや経営者が分かってくれる、と気づいただけなんです。ありがたい話でね、僕はこれに気付かせてもらえて良かったと思います。

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石原さんが主催する社外参謀養成大学の卒業式

これは僕が今、養成塾のファシリテーターをやっていてよくわかります。セルフイメージを描くときに、みんな「顧問が取れない」と言います。でも、いろいろ聞いていたら「それをアピールしたらいいだけじゃないの?」という話がたくさんあります。みんなあの時の僕と一緒で、「いや、それは、たいしたことじゃないです」「そんなことを言っても響かないです」って最初はそれをやらない。僕は「いや、いいからそれを言ってみな」って言います。これを素直にやる人は契約取れますよ。

顧問契約という話で言うと、キャッシュフローコーチでいくと、絶対に顧問契約は取れます。今はすごくニーズがあります。経営者は、意思決定するときに相談するパートナーが欲しい。でも、これは潜在的なニーズなので、やってみないとわからない。キャッシュフローコーチには、この潜在的なニーズをきちんと言語化して伝えるところのハードルはあるんですよね。料理を食べてみてから美味しかったとは言えますけど、食べる前にその料理がどうおいしいかを伝えるのが難しいのと同じです。「キャッシュフローコーチはこういうことをやっています」というのをわかってもらい、「この人と3~4時間話したら、こういういいことがある」と思ってもらう。そのために、脱ドンブリ経営のセミナーは有効だと思います。

独立前に、将来お客様になりそうな人と一緒にメニューを作っていく

独立して稼ぐのは、最初はやっぱり大変だと思う。僕は、貯金には手をつけないでおこうと思いながらも、貯金を減らしたんです。これは胸が痛かった。できればやりたくない…。何て言うのか、身を削っていく感じがしました。

だから、独立に備えて貯金をしておくというよりは、稼ぐ手段を最初から作っておく方がいいと思います。コンサルでいくなら、たとえ5万でも10万でもいいから、1社でも、2社でも、あては絶対つけた方がいい。そうした上で独立すべきだと思います。

僕は、独立するときは特に準備しませんでしたが、準備したら面白いでしょうね。独立前のことや、独立後にこうなるっていうリアルなイメージを、完璧に描くのは難しいでしょう。でも、コンサルタントをしようと思っているなら、今のうちから、見込み客になるかもしれない人たちと一緒に、メニューを作っていくといい。

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石原軍団集合!

僕の場合も、最初に顧問になったうちの1社には、和仁先生や遠藤先生の課題を一緒にやってもらったんです。顧問になれたらいいな、と思っていた友人のところに行って、「実は今度、顧問契約を取りたいんだ。こんな課題やっているんだけれど、どう思う?」と、意見をもらいながらやっていった。それで「これを商売にしようと思っているけれども、一緒にやらない」と言ったら、「ああいいよ」と。

これは非常にいいですよ。遠藤先生に「やれっ!」と言われてやりましたが、素直にやる人は少ない。僕は必死だったので、物はためしだと思ってやってみた。これをすると、将来お客さんになるであろう人たちと、課題を口実に話ができるので、すごくいいのです。

やっぱり経営者の目線で見たら、「これ何?」「これなんか違うんじゃないの」「これはどういう意味?」とか、いろいろ意見が出る。「これは面白いんじゃない」とか、「これじゃあ金払わないよ」なんてことも言われます。

こういう意見を聞きながら調整していくと、関係性も作れる。その人がお客さんになるかどうかは正直わからないけれども、少なくとも、そうやってお客さんを取る準備はできてくるので、いいスタートを切れると思います。冗談抜きで、僕は今から独立するんだったら絶対にやりますね。

<取材・文> 神戸1期 西野 順子

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